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9112006

その街にその国にいたわけではない。
家族が友人が犠牲になったわけではない。
他国の出来事のはずなのになぜ、
私はあの日の出来事を、そこから始まった出来事を、
こうも鮮明に忘れられずにいるんだろうか。





WTCが崩壊した映像を私はいまだに直視出来ない。
NYは、かつてすべてを失くした私がふたたび生き延びるチャンスを得た街で、
その様を、私の思い出や決意や記憶や、
そうしたものが崩れ去る瞬間と錯覚してしまったから。
ちょうど同じ季節の想い出だったせいもあったかもしれない。
常軌を逸した私を友人はずいぶん心配したものだった。

その頃、米軍基地のすぐ近くに住まっていた私は、
秋の運動会の練習をする小学校の真上を連日、
パイロットの顔が見える高さで飛ぶ戦闘機を見上げていた。
彼も戦場へ向かうのだろうかと。

恐怖と言う言葉で言い表せるものではなくて、
かつて感じたことのなかった価値観の喪失。感情が崩壊する危機感。
ある人の言葉で冷静さを取り戻すまで、それは長く続いた。
でも確実に私の中の何かが変わってしまった。
何が、なのかを今もうまく説明は出来ないのだけれど。

あの出来事にたったひとことでいい、
私のために「大丈夫だよ」と言ってほしかった人に今も会えずにいる。
抱え続ける心の澱は降り積もっていて、
今の私に出来るのは「忘れない」ことだけなんだろうと思う。
いつか何かが始まる日を願って。

5年目の9月、私の感受性は無駄が多いとあらためて思い知る。
あえてなぜそこにたどり着いてしまうのかと。
そして本当は、失いたくないものが零れ落ちていってしまう手のひらしか持ってない。
それでも私は生きているということなんだ。


先日の『ユナイテッド93』を観たおかげで、
私はやっとこの気持ちを書けた気がする。
あんなに泣いたのに、残ったのはほんの少しの勇気みたいだ。
1本の映画に対してあらためて感謝したいと思う。
そして追悼の意を。祈りを。

LOVE&PEACE&UNITY.
by maylee127 | 2006-09-11 21:00
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